Facebookで気づきを投稿していたが離れた
昨今の旧○○を巡る一連の不祥事報道も重なり
離れたい気持ちが湧き上がって
それでフォローしていた方々にお断りを入れて離れた
つながっている人たちは総て旧○○の方たちで
話題にしたいけれどその話題だけは避けたい意識が根底にあって
ちっとも親密にはなれなかった
後悔はない
その分
ブログで気づきを綴ろうと思う
今日の気づきは「受容」

先日の日曜日、キリスト教の礼拝に参加した
礼拝のスタッフと知り合いとなり
その方の紹介で参加した
基督教会を訪ねるのは
私の人生で二回目だ
一回目は 母の葬儀のとき
弟がキリスト教会のスタッフをしていて
その関係で 母の葬儀が教会で執り行われた
キリスト教では葬儀とは言わず昇天式という
賛美歌を歌い
牧師の祈りと贈る言葉 火葬式の祈りで
母は見送られた
大変ありがたかった
そして二回目が先日の日曜日
当日は大学入学共通テストの二日目で電車が混むと予想し
早めに出かけたが
教会へのルートは混むこともなくスムーズだった
礼拝は敬虔な雰囲気で進行し
とても感動し心が震えた
その場で積み重ねられた霊的土台というものが教会全体にあるのだと思う

二回ともそうだけど
基督教会を訪ねるにあたっては
出来事や相手を あるがままに受け入れた
出来事や相手に変化を求めようなどとは全然思わない
そこでの総ての経験をありのままに受け入れようとした
価値判断をしようとは思わない 非難しようとも思わない
ただ心地よく受け入れた
そう
わたしの前に展開するあらゆる人たちとの関わりと 進行していく出来事が
わたしの人生の大切なことを学ぶための
一コマ 機会だと思った
そしてその思いは
今後 同じ基督教会を訪ねるとき
ずーっと変わることはないだろう

これをスピリチュアルな「受容」と言うらしい
スピリチュアルな「受容」は 存在のレベル
つまり ハートのレベルに基づくのだ

それと対置するのが 自我レベルの「受容」
自身が過去に学んできた価値観を基に
出来事や相手を 受け入れるかどうかを判断
私の学んできたことと同じだ 受け入れ可能
そうして目の前の出来事や相手に同意して 受け入れる
そして自身が助けられ守られたと思い込む
それって エゴ
エゴは 過去に学んだことに立脚する
一方 完全な受容は 今という瞬間に立脚するという

基督教会の礼拝に参加して
とても心地よかった
礼拝後 まわりも何も強制しない
礼拝後 近くの梅の木で記念写真を撮った
自然も歓迎しているようで 嬉しく
次も礼拝に行きたいと思った

◇◇も今後 毎週礼拝をするらしい
ダダダダダーと機関銃みたいにあれやこれや捲し立てる説教ではなく
敬虔な心に響く ゆったりとした礼拝であってほしい
神さまに向かう 神さまの波動と共鳴する礼拝
そうしてこそ 個人が神さまとつながり
神さま中心の家庭になっていき
その家庭同士が連携して
One Family under Godの実現へと拡がっていくことができるのだと思う

とはいえ ◇◇で礼拝が始まったら無条件に総てを受け入れて参加です