2020年04月

私の父は 永遠の父

私の父は 左官職人 だった

大酒飲みの 義兄 の下に

弟子入りし 左官の技を習得した

そして 独り立ちし

私が 小学校のときには

いつのまにか

お弟子さんたちが いて

私たちと 同居していた

父は 「大将」「大将」

と お弟子さんたちから

慕われていた

多いときには

お弟子さんが 5人同居 していた

他に子供3人で 母は 食事作りに

大変だったろうな~ と

今にして 思うのだ

父の師匠が 大酒飲みだったから

父も 大酒飲み になった

それで 母も 苦労に苦労 した

だから 私も弟も 酒に溺れることは

しないぞ~ と 心に決めたのだ

そんな父だったけれど

父は 子供に 手をあげた ことがない

やさしい 子煩悩な 父 だった


・・・


そんな父が 47歳のとき

脳血栓 で倒れた

半身不随となり 仕事もできなくなった

母は その数年前から

ガス会社の 検針の仕事 をしていたが

大変だったろうな と

今にして 思う

そして その 10年後

父は 脳出血 で 倒れた

10日後 帰らぬ人 となった


・・・



父が 脳出血で倒れる前 のこと

私は 実家から遠く離れたところで

活動していた

その活動地の スーパー で

父の誕生日プレゼントに と

股引やらシャツやら 買って

贈ったことがあった


それが 包装ビニール袋に入ったまま

残っていた

あまりに 嬉しくて もったいなくて

着なかったのだ

と 母 が言った


・・・



私も 娘 から

誕生日プレゼントを もらった

ケロちゃんの コップ である

それを 私は 私の父と おなじように

もったいないから と 箱に入れたまま

しまってある


・・・



今日は 父の 命日だ


倒れた と聞いて

私は 遠方から駆けつけた

眼球も動かせず じっと仰向けになっている

病床の父の傍らに 近づいた

すると

倒れてからずーっと無反応だった

その父の

目から 突然

涙 が あふれ出た

涙 が つーと 頬を伝って流れた

看護婦さんは それを 見て

「わかるの?!わかるの?!」

と 父の 体を揺さぶった



・・・


それから しばらくして

父は 大きく息をして 旅立った


・・・


私の父にとって 子供は すべてだったのだ

私の父は 私を愛してくれた 永遠の父 である