福岡の久留米にいる時に 突然の人事
向こうで何をするのかわからないまま
福岡空港から羽田へ初めて飛行機に乗った 当時30歳だった
到着後 横浜の「たまプラーザ」という駅の近くの営業所に着いた
地名は 「美しが丘」
えらくハイカラな駅名と地名
それにまず感心した
そして 水産ビジネスに携わることになった
最初は 珍味販売から始めた
キャラバンに乗って西日本を回った
珍味販売を通して いろんな出会いがあった
そのときの出会いは 今も忘れられない
あるとき妻の荷物が その美しが丘の宿舎に届いた
それで 所帯持ちの家庭が集う宿舎へ移った
そこから家庭が出発した 35歳からのスタートだった
その妻とは あるときから一緒の職場で働くことになった
自然とそういう成り行きとなったが
背後には神さまの導きがあったと
いまも妻と神さまに感謝している
妻が介護で妻の義母の面倒を見るとき
妻とは6年別居状態となったが
会社では会えたし お昼に食事をして話をすることができたのだ
その一緒に働き続けた会社が
内部留保はあり まだまだ事業継続は可能だったが
元気なうちに と 会社を畳むことになった
新型コロナの終息の兆しが見通せないし
この先 事業を続けても 内部留保が減り続けていくことは
目に見えていたからで 株主の英断によるのだ
筆頭株主は 親心のある人だった
その人がずーっと
私たち社員の将来を 家庭ごと心配し続けてくれた
そして今が時だ と 私たちのために判断したのだ
そのオーナーは いま足が弱っておられ支えがないと歩けない
そんな健康状態なので目の黒いうちに と 判断されたのだ
私たち夫婦は そのオーナーに本当に感謝している
何をするかもわからないまま 突然人事を発令し
福岡から東京へ向かわせた あの「組織」とは全然違うのだ
来年1月末で会社はなくなる
しかし会社がなくなっても
私たち夫婦は これからが第二の人生
そのスタートだ と思っている
夫婦でまた一緒になって
前に向かって進むぞ~
エィ エィ オー!!!
エィ エィ オー!!!