9月12日は 私が出家した日である
将来有望と期待し自慢していた息子が
「狂った」 と 父は言った
ふすまの裏で 母は泣いていた
もう数十年前のことである
私たち夫婦は 毎年 父母の命日には
個人の好物を遺影の前に供え追慕する
つい先日は
妻の義母の 命日 だった
そして 追慕の祭壇を写真に撮って
妻は 上の兄夫婦にラインで送った
上の兄夫婦は その日
夫婦で休みがとれたから と
お墓参りをしたのだが
妻からのラインで
「えっ命日?そうだったんだ!なんかあるね~」
と その日が命日だと知らずに
お墓参りしたので 驚いたそうだ
・・・
先日 友人を訪ねた
娘が入院した あの友人である
「外部スピーカーから三日前突然音が出なくなった
どうしてなのか パソコンの操作を教えてほしい」
とのことだった
実際に行って確かめないとわからないので
訪ねた
訪ねた途端 すぐに音が出るようになった
友人も驚いていた 「えーっ!何で~?」
私は察した
友人の亡くなった妻が 私を呼んだのだ
友人の妻が 必死に働いているとわかる
・・・
友人は言う 「金の切れ目が縁の切れ目」
親しい人間関係も 結局は金次第
金があるときには 慕ってきた者も
金がなくなると 見向きもしなくなる
ということわざだが
これが 私が出家した組織にあるのだ
お金のある信徒には気遣うが
ない信徒には見向きもしないし
助けもしない
そうした声を あちらこちらで聞く
だが幸いなことに
その人たちは決して 恨んではいない
献金したことは善いことだ思っているし
無一文になっても皆
後悔はしていないのだ
・・・
私はそういう組織から出た
組織が嫌だからではない
よく「なぜ(分派に)行ったの?」と聞かれる
しかし一言では言えない
何かおかしい 何か変だ
そう感じて
いろいろと資料を読みあさり
真実を探し求めてきた結果なのだ
妻も私と一緒についてきてくれた
私が読む資料は
膨大にもかかわらず
妻も全部読んだ
そうして夫婦で辿り着いた結果なのだ
・・・
私たち夫婦は
いつも一緒に考え
いつも一緒に行動し
いつも一緒に泣いてきた
だから死ぬ時も一緒だろう
二日前 夢をみた
集会で沢山集まっていた人たちが
突然いなくなり 私一人残された
理不尽にも 私一人を置いて
会場は もぬけの殻
帰り道もわからない
夢ではいつもそうだが スマホが
言うことを聞いてくれない
道もわからない
方々歩いてやっと商店街に来て
そこから一人の婦人が出てきた
母だった
「まだ来るのは早い」
そう言って 奥から 大きな透明瓶いりの
牛乳を持ってきて 差し出してきた
それをぐいぐいと私は飲んだ
母は満足して 奥へと引っ込んだ
私は また歩き出した
・・・
私たち夫婦は いま 歩き出したばかりである
それも 真実の道 へと
そして 私たち夫婦は情熱を持って歩いている
その行く末は 希望であり 喜びである
「神は神秘的に働き給う」 だ