もう36年前になる
4月4日のこの日
父がトイレで脳卒中を引き起こして倒れた
父はそのまま身体を少しも動かせぬまま
話もできぬまま
それでも眼は時々見開いていたが
10日後に病室で息を引き取ったのだ
享年57歳だった
人間はみないつの日にか
必ずこの世を去る
その人間は なぜ
生まれたのか
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毎日 早朝より 妻と訓読しているが
今回読んだところは とても響いた
みなさんと共有したい
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「生命が先か、愛が先か」というとき、
互いに「先だ」と言うことができますが、
果たしてどちらが先でしょうか。
愛が先です。
宇宙の根本は、
存在の起源に先だった愛の流通がなくては、
存在価値が生じません。
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私たち生命の起源がどこなのかを考えるとき、
生命が先か愛が先かということが問題です。
今までこれを見分けることができませんでした。
生命が先ではなく愛が先です。
あとになったものは、先になったものに順応しなければならないので、
愛のためには生命を捧げるのが当然なのです。
このように、これは収拾しておかなければなりません。
そのようにすれば、
人生を真に生きる道はどこなのかということが出てきます。
人生が愛から生まれたので、
愛の道を行かなければならず、
愛のために死ななければならないという結論が出できます。
小宇宙ではなく大宇宙が歓迎できる愛を探して、
神さまが公認され、
天使世界が公認し、
万物が、
ひいては父母が公認できる大宇宙の中に生まれ、
その中で愛し、死んでいくのが
人間が生まれた目的だとみることができるのです。
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愛は全体を創造する力をもっています。
宇宙の愛のすべてを受けて、
全宇宙の中心的存在として生まれたのが、
正に「私」です。
愛によって生まれ、
愛によって育てられ、
また愛を残すのが
人生における最高の目的です。
自分の家庭で、
宇宙の中心である愛の使命を果たすことが
最も価値のあることです。
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人がなぜ生まれたのか、
といこうことを知らなければなりません。
人は、知識や権力ゆえに生まれたのではありません。
人は、愛ゆえに生まれ、また、愛から生まれました。
それでは、愛は何ゆえにそのように偉大なのでしょうか。
それは、生命の源泉であるからです。
---「天国を開く道 真の家庭」より
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亡き父は
お酒が好きすぎて母は苦労したが
それでも私たち子どもにとっては
とてもいい父だった
その父が
愛によって生まれ
愛によって逝った
と思うと
その父の人生の苦労と
わたしたち子どもに対して期待した願いを
私は引き継いで
果たしていきたい 今日の日に改めてそう想った