私の父は 左官職人 だった 大酒飲みの 義兄 の下に 弟子入りし 左官の技を習得した そして 独り立ちし 私が 小学校のときには いつのまにか お弟子さんたちが いて 私たちと 同居していた 父は 「大将」「大将」 と お弟子さんたちから 慕われていた 多いときには お弟子さんが 5人同居 していた 他に子供3人で 母は 食事作りに 大変だったろうな~ と 今にして 思うのだ 父の師匠が 大酒飲みだったから 父も 大酒飲み になった それで 母も 苦労に苦労 した だから 私も弟も 酒に溺れることは しないぞ~ と 心に決めたのだ そんな父だったけれど 父は 子供に 手をあげた ことがない やさしい 子煩悩な 父 だった ・・・ そんな父が 47歳のとき 脳血栓 で倒れた 半身不随となり 仕事もできなくなった 母は その数年前から ガス会社の 検針の仕事 をしていたが 大変だったろうな と 今にして 思う そして その 10年後 父は 脳出血 で 倒れた 10日後 帰らぬ人 となった ・・・ 父が 脳出血で倒れる前 のこと 私は 実家から遠く離れたところで 活動していた その活動地の スーパー で 父の誕生日プレゼントに と 股引やらシャツやら 買って 贈ったことがあった それが 包装ビニール袋に入ったまま 残っていた あまりに 嬉しくて もったいなくて 着なかったのだ と 母 が言った ・・・ 私も 娘 から 誕生日プレゼントを もらった ケロちゃんの コップ である それを 私は 私の父と おなじように もったいないから と 箱に入れたまま しまってある ・・・ 今日は 父の 命日だ 倒れた と聞いて 私は 遠方から駆けつけた 眼球も動かせず じっと仰向けになっている 病床の父の傍らに 近づいた すると 倒れてからずーっと無反応だった その父の 目から 突然 涙 が あふれ出た 涙 が つーと 頬を伝って流れた 看護婦さんは それを 見て 「わかるの?!わかるの?!」 と 父の 体を揺さぶった ・・・ それから しばらくして 父は 大きく息をして 旅立った ・・・ 私の父にとって 子供は すべてだったのだ 私の父は 私を愛してくれた 永遠の父 である