2021年07月

私のミーは 心の中で 永遠なり

旧暦では今日は6月21日だ
旧暦の新年を迎える前日に会社の事務所を明け渡してから
もうすぐ半年になろうとしている
この間に いろいろなことができた
主に過去の清算と 次の段階活動への準備であった
そして前々から行こう行こうと夫婦で心待ちにしていた 知人の娘のライブ 新型コロナの影響で延期になっていたライブに 夫婦で行って観覧 応援ができたのだ
JR新宿駅東口から徒歩で数分のところに そのライブ会場があった
ライブ会場を出て駅に向かった頃は夜7時
駅近くに人だかりができていた
見上げると でっかいミーがいた
しっぽは 実際に飼っていたミーのほうが 短くて可愛かったのだが
ミー なのだ

最近 読んだ本に こんなことが書いてあった

「すべてのものは愛を交わす相対」

 「私が動物を愛する理由の一つは、すべての動物たちは愛を感じることができるからです。犬を飼っているなら、犬たちが自然に飼い主の感情の状態を感知できることが分かるでしょう。馬もそうだし、野生動物もそうです。彼らは人の姿や行動からその状態や品格を感知することができます。動物さえもそのような能力があるのです。」

 「私の妻はガーデニングが好きです。我が家の庭を見ると花が咲き乱れています。庭をこのように美しく飾るためには、たくさんの手入れと精誠が必要です。万物は愛を交わす愛の相対として作られました。」

 「私は、馬の調教を通して教育の原理を学びましたが、それは被造物が嘘をつかないからです。人間は嘘をつきますか? 本音を隠しますか? 騙しているでしょうか? そうです。 しかし、被造物は嘘をつきません。馬は、私たちがどのような存在であるか、そして私たちが馬にどのような影響を与えているかを正確に伝えてくれます。ですから、被造世界は、私たちの5%の責任の実在を学ぶのに最適な場所なのです。」

 「雷が落ちた時に、山の頂上に馬に乗って上った経験があります。雷が落ちる恐れがある最も高い場所にいました。雷に当たらないという信仰がなければならないと思いませんか。それと同時に、山の一番高いところにいるのは愚かなことだと思いませんか?それで雷に打たれたら神様を呪わねばなりませんか、それとも「私が愚かだったから当然でしょう」と言うべきですか? 私たちはそのようにして学ぶのではないのですか? そういうことが多々あったと記憶していますが、どうしたことかケガをせずに生きています。しかし、そこで悟った教訓が私の心に刻まれています。私が乗った馬は良い馬なので怖かったでしょうが、私を完全に信頼していました。私が頂上へ行くことを願うので馬も行ったのです。それほど私のことを信頼していなかったら、その馬はおそらく仰天したことでしょう。」

私のミーは 心の中で 永遠 なのだ